神様と暮らすインド人

宗教のデパート

世界のあらゆる宗教がインドに集まっているといわれるほど、インドにはさまざまな宗教があります。

世俗的な宗教もどき、怪しげな新興宗教もあれば、何千年とバリバリガチガチの伝統を守る保守的な宗教もあります。

「宗教」というと、日本人の心にはまずなによりも「怪しいもの」というフラグが立つでしょう。ところがインドでは「神様」は生まれたときから存在し、ごく身近に、語弊を恐れずにいえばときに都合よく存在するものです。

ヒンドゥー教だイスラーム教だという話の前に、ちょっとこのあたりを話させてください。宗教学の厳密な言葉の定義や議論はこのサイトの目的ではないので、激しいツッコミはいれないでいただけると助かります(笑)




いつも隣にいる神様

日本人はごはんを食べる前に「いただきます」とか、「ごちそうさま」といい、手を合わせますね。出かける人を見送るときには「いってらっしゃい」、出かける人は「いってきます」といい、帰宅すれば「ただいま」「おかえりなさい」という言葉を発します。

こういった「ことば」はごく日常的に発するもので、私たちの誰もそれを特別なことだとは思っていません。

けれど元を辿っていくと、こういった言葉は広く神仏への感謝を表したものだったり、もっと原始的な「まじない」のような役割を担っていたことがわかります。

インドにおける「神様」は、ほとんどこれと同じレベルで、息をするように「普通」で「あたりまえ」の存在といえます(ものすごく乱暴な説明というのはさておき)。

「宗教」というより「信仰」

「宗教」と改めて書くとなにやら仰々しく怪しい響きも帯びてきます。では「信仰」といいかえると、どうでしょう。もうすこし身近に感じられるでしょうか。

神様や、教祖や、奇異に見える風習、そんなものは、歴史や文化や風土の違いから生まれるものです。たとえば日本の仏教や神道なども、キリスト教圏の西洋人から見たらなにやらエキゾチックなものに見えるらしいですし。

この「息をするように神様が日常にいる」が、インドにおける「宗教」の本質です。

宗教はいろいろなことを説きます。アプローチが異なることはあっても、ゴールが「人が平和に幸せに生きていくため」という大元のところにおいて、どの宗教にもさしたる違いはないことは、宗教に疎い日本人にもなんとなくわかる点ではないでしょうか。

つまり、「いただきます」に似た習慣がインド人は日本人より何百倍も多いのだ、そんなふうに受け止めてみると、インドにおける宗教の存在が理解できるかと思います(ものすごく乱暴な説明というのはさておき)。


 

宗教のざっくりした内訳

そんなインドなので、それはもう、どんなに不信心な者でも、信仰というものが骨の髄まで浸透しています。熱心な信者でなくとも、家庭で、コミュニティで、社会のさまざまな局面で、自分が属する宗教の教義や習慣に触れています。

宗教の種類と人口について、外務省のインド基礎データによる内訳は下記のとおり。ほかにもゾロアスター教(拝火教)、ユダヤ教など、数字上は少数ですがさまざまな宗教人口が存在します。

ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、 仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4% –(2011年国勢調査)

宗教対立

これだけ多数の宗教が共存しているインド。ときとして宗教間の対立が勃発し、死者がでるような焼き討ちや暴動に発展してきたこともあります。

日ごろお互いに「気に食わないな」と思っている相手同士が、なにかのきっかけでやり合うことは個人レベルでもあると思います。

インドの場合、完全に棲み分けているわけではなく、たとえばヒンドゥー教最大の聖地であるバナーラスにもイスラーム教徒のコミュニティがあり、モスク(イスラーム教の寺院)がヒンドゥー教寺院に隣接していたりします。そんな袖すり合うなかで、これまでも大きな対立が起きてきました。

インドに限ったことではありませんが、宗教間の対立は、神様や教義の違いといった単純なものではなく、宗教を巧みに政治利用し、集団と集団の間に憎悪を生み支配しようとするものです。

観光地でない場所で、ごくローカルレベルで起きる小競り合いは今でもあります。旅行者が巻き込まれた大きな事例はないにしろ、「そういうこともある」と心のどこかに記憶しておいてください。