インドに精神世界を求める貴女へ

一部の必要な人に響けばよいという思いで、ちょっと分からない人にはまったく分からない話を書きます。


インドの猥雑と混沌のはざまに、精神の高みを目指す、もとい、魂の救済を求める人がいます。

スピリチュアリズムや精神世界や神様仏様の世界に傾倒している人が辿り着く先として、インドはまことに好条件が整っています。小理屈を垂れる哲学的思想も豊富ですし、迷える子羊を赦し受け入れたり、厳しく管理し戒める宗教にも事欠かない国です。

そしてここが厄介なところですが。

実際に、ここはまぎれもなく聖地だと思える場所がインドにはあります。第三の眼(!)を持ってるんじゃないかと思うような人もいます。時間の流れが違うとか、空気が違うとか、神聖さを感じることもあります(ちなみにそんな特別な場所はここには書きませんし誰かを伴って行くこともありません)。

だからスピリチュアリズムや精神世界や神様仏様の世界を否定するわけではありません。だって本当にあるんだもの、としかいいようがありません。

ただし。

そういうものを、特別な自分を形作るために利用している人がいたとしたら、ちょっと足を止めていただきたいのです。

私に気づいて。私を認めて。すごいねといって。羨ましいといって。そんなことのためにインドという特別な装置を必要とし、自分をさらに追い詰めたり、他人を巻き込んだり、家族や友人を心配させたりしていませんか。

幼児期〜思春期にそのような欲求があるのはごく自然なことですが、大人になってもそれを持ち続けているのは、健全な挫折と達成を乗り越えてこなかったハンパ者です。やれ家庭環境が、やれ親がといった反論もきっとあるでしょうが、ここではシンプルな事象にのみ注目します。

シンプルな事象とは。

生きていくこと、すなわち、ごはん食べたらうんこ出る、というような事象です。そんな当たり前のことに、さしたる理由づけはいりません。

インド映画”Chalo Dilli(2011)”(デリーに行こう)にこんなシーンがありました。

登る朝日が美しい、魂が洗われるような気分になった、とヒロインがいいます。一方、路上で生活している人たちは「なにいってんだこのマダムは。そんなの俺たち毎日見てるし、あたりまえやないか!」

よくない家庭環境も困った親も、大人になったならばなにをどうしても、力ずくでも切り離すべきものです。魂が便秘をしたからといって、インドの神秘に逃げ込めば治るわけではありません。どうか、魂の便秘の解消のために、インドを利用しないでいただきたい。便秘を治すのは、健全な食と適度な毒と睡眠、なにが問題なのかを考えられる大人の思考です。

大地が、地球が、魂が、と語れるのは、世俗の荒波をくぐり抜け、立ち向かい、他人からのお手軽な承認ではなく自身の孤独な闘いによって確固たる自信を勝ち取った人だけです。

足元の泥を払うにも誰かの助けがいるような、自らの未熟な精神を認めず、解決すべき根本から目をそらし、ただ耳に心地よい言葉に逃げたり都合のよい解釈で問題を捻じ曲げるような人が、ちょっとインドに行って朝陽がきれい河がきれいと感動してみせたところで、そんなものはなにかのきっかけで一気に吹っ飛びます

誰かのサポートや助けを得られるならそれもよいと思います。けれど一番最後の心の関門は貴女自身が越えなければなりません。

貴女を救うのは他者でも、そしてインドでもなく、貴女自身です。

どうか、このことを心に刻んでいただきたいのです。まだ見ぬ貴女に、ごまかしではないほんとうの幸せをつかんでほしいから。